どうも、KGです。
今回のアンビリバボーの新春3時間スペシャルで、東京オリンピックを陰で支えた男たちを放送します。
その中で、当時の各国の国旗を作った当時20歳だった大学生の吹浦忠正さん。
ではなぜ、当時の国旗を作ったということが、そんなにスゴイことだったのか?
吹浦さんの経歴や現在の活動、大学や結婚についても調べていきましょう!
吹浦忠正のプロフィール
- 名前:吹浦忠正(ふきうら ただまさ)
- 生年月日:1941年3月17日
- 出身地:秋田県秋田市
- 血液型:B型
吹浦さんの経歴や国旗に魅せられた理由
吹浦さんは、小学校4年生の時に国旗の面白さや不思議さに気づいたと言います。
吹浦さんの当時の部屋には、世界地図があったそうで各国の国旗が書いてあったそうです。
その中で、北欧の5つの国の国旗が、同じような十字のマークがあり先生に聞いた事があったとか。
こちらが北欧5ヶ国の国旗。
結局、先生は答えられなかったそうですが、そんなとこに小学生が普通気が付かないですよね。笑
この時から、吹浦さんは勉強してなぜ違うのかを知っていったそう。
国旗に魅せられていったまさに原点ですよね!
20歳の大学生で国旗作りを任された?
吹浦さんは、1964年の東京オリンピックで20歳の学生の時に、「東京大会組織委員会国旗担当専門職員」になります。
これがどういう役割なのかというと、簡単に言うとオリンピックに出場する各国の国旗を制作するというもの。
これを聞いただけだと、なんだそんな簡単なことか・・・。と思いますよね?
しかし、これはどんな役割よりも重要とされた役割でした。
なぜ国旗は重要だったのか?
国旗の形は様々あって、全て同じ形にしようとすると崩れたりするし、バランスがおかしくなってしまうのだとか。
しかも国旗と言うのは、当時はとんでもなく大事なもので、国の民族の誇りを象徴すると言われていました。
要は、変なものだったりを作ってしまうと、その国の関係者が「うちの国の国旗を適当に作りやがって・・・。」と思われる可能性があるってことです。
ですから、絶対に失敗は許されないということ。
こう聞いたら大変な役割だということが分かりますね・・・。
なぜ吹浦さんが選ばれたのか?
なぜ当時。まだ大学生だった吹浦さんが選ばれたんでしょうか?
実は、吹浦さんは学生の頃に小さな国旗の本を2冊出版していたのがキッカケだったそうで、組織委員会式典課の人に呼ばれて面接を受けたことのこと。
吹浦さんの、あまりの国旗や国の知識に圧倒されて面接はあっさりと終わり、採用されたらしいです。
吹浦さんの、国旗への情熱や興味がスゴイですよね・・・。笑
吹浦さん以外では、出来なかったお仕事だったんではないでしょうか?
こちらに吹浦さんが学生相手にインタビューを受けている動画。
当時のオリンピックの苦労話を語っています。
現在の活動は?
吹浦の現在の活動は何をされてるんでしょうか?
調べてみると、国際赤十字バングラデシュ・ベトナム各駐在代表とあります。
これは一体どんな活動をしてるんでしょう?
こちらに活動の詳しい動画。
簡単に言うと、避難民の食料も確保や病気の治療みたいですね・・・。
非常に大変なのが伝わってきます・・・。
吹浦さんは、この団体のベトナム各駐在代表なんですね。
大学はどこ?
吹浦さんの、大学はどこなんでしょうか?
調べると、早稲田大学大学院を卒業されていました。
やっぱり優秀な方でないと務まらないお仕事をされているので、スゴイですね!
結婚はしてる?
吹浦さんは、結婚されているんでしょうか?
調べてみましたが、情報はありませんでした。
ただブログに、姪っ子の結婚式に出席した記事があったくらいでしたね・・・。
また何か分かり次第追記したいと思います!
まとめ
吹浦忠正さんについて調べてみました。
喋り方や佇まいから、スゴく知性が溢れている方だという印象を受けました。
これからも、健康に気をつけて活動を頑張ってもらいたいですね!
アンビリバボーの放送も楽しみにしましょう!
最後まで読んで頂きありがとうございました!
[…] 「吹浦忠正の経歴や現在の活動は何?大学や結婚についても調査!」より引用 […]